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些細なことが気になる日々

最近「私は気にしすぎなのかな」と思うことが増えた。

人が聞いたら些細なことだと思う。

というのも、最近自分が引っかかるポイントは、少し前の自分ならあまり深く考えず受け入れていたようなことだからだ。

例えば仕事の打ち合わせをしているとき。
以前の私は、相手が想定しているより自分の作業が大変になりそうだと感じることがあっても、説明して話が複雑になるくらいなら、そのまま引き受けるという判断をしがちだった。

今回は仕事で例えたけれど、これは仕事でもプライベートでも同じだったと思う。

実際、そのやり方でも日常は回る。
むしろ想定より良い結果になることも多く「できる人」「感じのいい人」として見られることも多い。

人に感謝されると素直に嬉しいし、自分でも少し誇らしい気持ちになる。
でも、少し時間が経つと見えてくるものがある。

例えば仕事なら、この人はこの価格で想定以上のものを出してくれる人、という認識になる。
最初は感謝だったものが、だんだんと「そういうもの」として受け取られるようになる。
結果として、コストパフォーマンスのいい人という位置に落ち着いてしまうこともある。

人間関係でも似たことが起こる。
何か特別なことをして感謝される。
でもそれが一度起きると、次にそれがなかったときに「今回はないんだ」と少し残念に思われることがある。

たまたまの親切や余裕のある行動でも、人はそれをその人の標準だと認識しやすいのかもしれない。

こういう出来事は、一つ一つは本当に小さい。
外から聞けば、ただの些細なエピソードだと思う。

でも、当事者として同じスタンスで日々を過ごしていると、その小さな出来事は積み重なっていく。
そうすると、ある日ふと、小さな出来事に対して強く違和感を覚えるようになる。

なぜそうなるのかと考えると、自分では良いと思ってやってきたことが、価値として積み上がっていない感覚があるからだと思う。
むしろ、自分の扱われ方が少しずつ軽くなっているように感じることもある。

以前はやってくれたのに、今回はやってくれない。
本来そこまで求めるべきではないことでも、人はそう感じてしまうことがある。

そういう、自分の力量や人間性とはあまり関係のないところで、相手の判断や経験によって、自分の位置が少し低く見積もられてしまうような構図。
それが私にとって好ましい状態ではなかった。

常に上の立場にいたいと、言ってるいるわけではない。
ただ、本来の自分より低い扱いが積み重なっていく状態は避けたいと思った。

だから最近は、少し立ち止まって考えることが増えた。
これは本当に妥当なのか。
自分が納得できる対応なのか。

もちろん、すべてを主張するわけではない。
どこまで言うのか、どこで引くのか、そのバランスも含めて考える。

その過程で、ふと「私は気にしすぎなのかな」と思うこともあるが、そういう戸惑いが生まれた時は、今の自分は意識的にこういうことを考えるようにしている。

過去の自分は、あまり深く考えずに受け入れてしまうことが多かった。
その方がその場はスムーズに進む。
ただ、その積み重ねが自分の満足度にどう影響しているのかは、あまり考えていなかった。
最近は少し違う。
過去の経験を踏まえて、この先どういう選択をした方が、自分にとって無駄が少なく満足度が高いのかを考えるようになった。

人と関わって生きている以上、扱われ方というものは必ず生まれる。
仕事でも、プライベートでも、それは同じだと思う。

だから、自分の行動が自分の価値を下げる方向に働いてしまうなら、そのやり方は見直した方がいいのではないか、と考えるようになった。

もしかすると、今の自分は少し慎重すぎるのかもしれない。
でも、ここで一度整えておかないと、また「まあいいか」に戻ってしまう気がする。
そうなってしまうと私は長い目で見た時に損をすることになると考えている。

自分が納得して選んだのか。
それとも、面倒だから流したのか。
その違いは、後からじわじわ効いてくる。

だから今は、少し面倒でも考えてみる。
この考え方が過剰なのかどうかは、まだよく分からない。

ただ、少なくとも今の自分にとっては必要な過程のような気がしている。

Kasumi Nakatake
著者
nakatake kasumi

記憶を留めるをテーマに、表現を横断した制作を行う個人作家。
表現領域:絵・クラフト・デザイン・音楽・リーディング