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動画を見るのに疲れてきた

YouTubeのショート動画やインスタのリールを眺めていたら時間が溶ける。
そんなルーティンを3年くらいしてる気がする。

楽しいから3年も続いていたのだろうけど、最近は疲れて見なくなった。
動画は分かりやすくて便利で、情報取得の時短になると思っていた。

でも今は便利が行きすぎて、情報の飽和で脳が容量不足によるストレスを起こしていると思うようになった。

量産される表現スタイルが退屈

SNSで注目される動画にはフォーマットがあって、構図・テンポ・語り口はこれが正解だよ。
これをすればバズるよという正解マニュアルがある。
だからおすすめには、酷似した内容や表現が続く。

  • 同じ語り口や空気感
  • 風のように駆け抜けるスピード感
  • 流行りの感情の動かし方

余白がないため考える隙がなく、似た系統の刺激が次から次へと流れ続ける。
見えない疲労が静かに蓄積していく。

衝撃的・攻撃的な切り口が嫌

最近は作品などメインの内容そのものよりも、キャラクターや物語で注目される流れができており、動画の切り口がアンチコメントの抜粋からはじまったり、活動を辞めるとか誤解を敢えて生むような強い言葉を使った動画も増えてきた。

インパクトがあり手を止めやすく、共感できる部分もある。

だけど、この表現が当たり前になり、たくさん流れてくると色々な意味で心がしんどくなる。
感情が消費されて、擦り切れて、やさぐれる感じがする。

静止画の良さがわかってきた

動画は分かりやすく、便利で楽しい。
だから夢中になった時期があったし、これからも利用はする。
だけど、時間と感情が動画のペースに巻き込まれてしまう。
動画の支配力は強すぎる。

インスタは元々画像中心だった。
あの頃のインスタは、見る長さを自分で決められるから時間を調整できる。
静的な情報は脳の刺激が穏やかなので、気持ちに余白ができる。
世界観に自分のペースで没入できる感じ。

動画の良さを理解している。
静止画にはない便利さ、表現の幅広さがある。

ただ、立ち止まってもいい。一瞬で通り過ぎてもいい。
何度見ても、同じ姿でそこに在り続ける。
静止画には、自分と向き合える安定感があり、心をゆったり癒してくれる力があるように思う。

静止画を大切にしていきたい

動画は衝撃やユーモアなど、興奮に寄与する娯楽。

対して静止画は感情や思考を急かさない。
自分のペースで呼吸ができる余白のある娯楽。

情報も刺激も常に過密な時代。
気づかないうちに疲れている人も多そう。

音がない・動かない・説明されない。
そんな表現の余白を楽しむことが丁寧に生きることになる気がする。

丁寧に生きるを自分に強要するつもりもないのだが、心を満たすことに繋がるように思う。

Kasumi Nakatake
著者
nakatake kasumi

記憶を留める作家として活動中。
絵・クラフト・デザイン・音を横断する個人作家。